攻めの守りの極意〜できればムカつかずに幸せに生きたい♬〜

 「ちょっと、食器洗ってよ!(怒)、自分のことばかり感けてないで、もっと協力してよ!(怒、怒)独身に戻れば!(怒、怒、怒)」

 夏にセミの喧しい鳴き声が耳朶に残るように、私の場合は、年間を通じて満遍なく上記の声が耳朶に残っている。

 不思議なもので、全くノーマークでこうした声を聞くことは極めて稀だ。ノーマークで指摘されると、あっ、そっか、ごめんと意外と素直に口から零れる。大概は、そろそろやらんとあかんなぁ〜と想起された数分後に指摘が入る。すると、ムカッ、イラッ、チッ、の3拍子が揃い踏みし、怒りの感情に身も心もハイジャックされる。

 Time is moneyが金科玉条となる朝の一時、保育園の送りをする4歳の娘に、早く食べなさい!TV消すよ!靴下履きなさい!とたたみかけると、分かってる!(怒)と感情を剥き出しにする娘。大人だけでなく老若男女問わず、

「分かってることを指摘されるとイラッとくる」のは人間の本性に由来する事なのだ。

 さて、子育て・人育てにおいて人口に膾炙する彼・彼女がActionするまで“待つ”重要性。これ、僕、条件付き賛成。条件とは、自分に時間と感情の“ゆとり”がある時に限って。

 聖人君子はいざ知らず、市井のパンピーな私は自分に“ゆとり”が無ければ、人に優しくなれないのです。では、自分の時間と感情に“ゆとり”のスペースを敷衍するために何が必要になるんだろう?と考えるよね。

 ここで、話は段違い平行棒的にぶっ飛びます。私は、教育業界の端くれにいるため、日常的に教育Wordに囲まれて生きてます。で、能力というWord、日本語だと一つだけど、英語表現だと2つのボキャブラリーがあるのです。

  1. ability(アビリティー)⇨平たく言うと、言われたことをやれる能力 
  2. competence(コンピタンス)⇨平たく言うと、言われる前に周囲の期待を読み込み、期待に応えるActionをとれる能力

 で、僕の時間と感情に“ゆとり”のスペースを空けるための戦略は、後者のcompetenceを日常の中で意識・意図して高めることに尽きる。(と偉そうに書いてますが、ここ1週間の思考で気づいたものです、はい。)

 言われないようにしよう、言われないようにしようと考えていると、心が萎縮する、受け身になる。言われて、abilityで対応できても、感情のシコリは残る。ストレスが溜まる⇨幸せではない。

 ならば、competenceを発揮して、言われる前に不言実行で食器洗いする、自分のタスク以外のことで、もう1日保育園送りするわ!と+αをActionしてみる。すると、何が待っているか。「ありがとう、助かる!」の感謝が待っている。

 competenceを発揮する良さは主体的ということ、そして、ありがとうを呼び込み、更なる期待を先回りしたActionの快感を味わいたいと駆り立てること。この好循環に乗ることができれば、周囲との関係性をホットなものに組み替え、自身を成長させることが出来る!はず。

 さて、結論、僕が言いたかったのは、

怒られないようにしようとする守りではなく、先回りして周囲の期待を察知し、応えるActionを行う攻めで、時間と心の“ゆとり”を手に入れ、できればムカつかずに幸せになりましょう!

 って、自分ができてる訳ではないので、できるよう、程々に頑張りたいと思います!

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